小料理屋さつき

かつて「はてなダイアリー」にあった「小料理屋さつき」をインポートしたもの+細々と。

ウツ/うつ病/鬱病:それぞれの「救い」

 旦那がすっかりまいってしまっているので、昨夜久方ぶりに私の「ウツに関する持論」をとつとつと話してみました。旦那がカウンセリングを始めて数ヶ月になるので、あまり旦那の治療の妨げになるような「入れ知恵」のようなことはしたくないのだけれども。とはいえ、まあ別のアプローチがあってもいいかもしれないなんつーことはあまり思わず、ただ、旦那がメソっているのでぼつぼつと話しただけなんだけれど。
 で、まぁ話す行為というのは往々にして、妙な所だけ何度も繰り返したり、まとまりのない内容になったりするので、まぁこの機会に丁度いいかっつことで、私なりの「ウツに関するメモ書き」のようなものをちょろっと書いておいてもいいかなと。ちなみに自覚したのは10代の頃かも知れないし、よく分かりません。20年前にはそういうことが社会に広く認知されてませんでしたしね。通院治療を考え、決断し、実行したのは・・・・ノートの日記をみると、おお、1992年だから・・・もう13年前? すごい前になりますねえ。大体10年かと思ってはいたけど(笑) その後、少し良くなっては会社で働いて、症状が悪化して辞めて通院して・・・を何度か繰り返し、1997年にカウンセリング治療を始め、まあその後も間断続きながら今日に至る、って感じです。その間、担当医の変更や治療内容、転居などで何度も転院しています。自分に合わない先生とセッションしても辛いだけですしね。医者は神様じゃあなくて医者だって人間なわけだから、相性の良し悪しっていうのはありますし、転院することにためらいはありませんでした。まぁ他にも色々ありますが、それは後々。
 あー、こういうときペーパーメディアの日記って便利だなぁ。すぐ出るから(笑)。でも、キーボードの生活に馴れてしまうと紙に文字を書くという行為がだるくなって・・・ダメですね。

★自分がウツである、と認める辛さ
 ウツ病という風におおざっぱにまとめられる病気になったとき、まずこの「自分はウツ病なんだ」というのを認めることが最初の難関だと私は思います。特に勝ち気な人、弱みを人にあまり見せようとしない人は辛いかな。また、家族など、当人の周囲の人が柔軟な人じゃないとそれもまた辛いでしょう。今でこそ、精神科には患者家族向けの簡単なパンフレットがあったりしますが、以前はウツというのを患者本人はさておき、家族や周囲にどう分かって貰うかというのがとても大変でしたから。今でもそれは続いている問題だと思います。私も旦那の実家の方にどう説明していいやら未だに悩んでいますから・・・

 私の場合は、何となく自分のココロがヤバイっつー自覚があって、自分から通院を決めたのと、最初の担当医が私の母とよくお話をして下さったことが良かったのかもと思っています。家計をしょっていかなきゃならない時じゃなかったですし、今の用語で言えば「引きこもり」状態であっても衣食住に困ることはなかったので。そういう意味では幸運だったかも。

★治療の期間や方法は患者の数だけあるということ
 いわゆる、ノーミソの働き云々という観点からすれば、ノーミソの中で「もにょもにょガタガタどーんどーん(謎)」と動いている様々な物質を薬によって整えてやることでウツが治癒されていくっていうのは分かります。また、患者の置かれている環境・・・学校や会社、居所などを変えることで人間関係がリセットされ、それによって落ち着く患者もいるでしょう。ですが、そういう調整で患者の調子が良くなるのであればいいのですが、患者のこころの傷が深い状態だと、薬を飲もうが環境が変わろうが、患者本人のこころの調整がなにもされていない状況ではあまり変化しないのでは、というのが私個人の考えです。

 私が自分自身の治療を振り返って失敗だったと一番感じているのは、ちょっと調子が良くなったかなと「個人で勝手に決めて」服薬や治療をストップしてしまい、以前の生活習慣などに戻り、やはりバランスが取れなくて調子が悪化し・・・の繰り返しをしてしまったことでしょう。それよりも、もっと早く通院を開始すべきだったというのもあります。他の病気と同じように早期に対策というのがウツにおいても同じ事だと思います。
 そして、もう一つ大事なことは「自分の治療のペースや方法は自分だけのもの」というのをしっかりと認識することだとも思うのです。今はネット上でいろいろな体験談を読んだり、BBSなどで話し合ったりできますが、それが逆に治療に関する固定観念を植え付けてしまうかもという風に私はちょっぴり思っていたり。つまり「あの人と似たような症状だから、私も同じような方法を取れば治るんだ」と考えてしまうとやばいかもって。なぜなら、これもまた個人的な考えではありますが、ウツという病気はその患者の歩んできた人生の道に深く関わる病気ゆえ、人生の道が人の数だけあるのと同じように、治療の道も患者ひとりひとり違うのではと思うのです。

・・・というところで、ひとやすみ。少しずつ更新します。