小料理屋さつき

かつて「はてなダイアリー」にあった「小料理屋さつき」をインポートしたもの+細々と。

滄桑之変:まるで無様な不良気取り

 2chのニュー速+で知ったネタ。J-CASTニュース : ワインの居酒屋持ち込みはあり? ばななエッセイに賛否両論 これはもう、全面的に吉本ばなな氏が「人脈を持ってる著名人」っていうのを盾に「しでかした」どうしょうもない腑抜けた話としか言いようがないですね。今東光おじいちゃま(勝手におじいちゃまと呼んでます。ごめんなさい)の「イタズラ伝説」(Amazon:毒舌・仏教入門 (集英社文庫) 参照)はありますが、あれも「知った店」であるから出来たのではと思うんですよね。なじみの店ではないのにそういうことをしでかし、なおかつ、「それなりの人脈を持ってる著名人という客を失ったんだぞ」と遠吠えしてる。なんという無様さ。粋のなさ。
 元から読まない作家ですし、どーでもいいんですけどね。読んでないから好き嫌いもないというか、関心さえないという。しかし、こういう事例をさも「えっへん」と上から目線で書いて恥ずかしくないのかなと。ますます、読まなくて正解だったなと思います。読んでも多分、私の考えに合わず、腹立たしく、むずがゆく感じるかも知れませんね。
 普通なら、そういう大事な食事会は、なじみの店であらかじめ断って進めるべきでしょうし、そういう頭がまわらないのはどういう育ちをしたんだろうと頭をひねります。また、例え何気なく集まっちゃって、デパ地下でちょっと買った総菜を食べたくなって、膝下で回してこっそりつまんだりしたのを見つかっちゃったら素直に謝るしか無いですよ。ほんと申し訳ない、もうしまいますのでと。
 どんな偉い人でも、頭を下げなきゃだめなときは下げなきゃだめだと強く思います。偉くなって、チヤホヤされるようになると、頭を下げることを忘れる人が多いのが悲しいですね。悲しいというか呆れるというか。自分の社会的地位が下がる、バカにされるからと思って下げたくないのでしょうか。私には分かりません。
 作家というのは、案外素顔が知られていないのではと個人的に思います。折り返しの所に「著者近影」とかありますけど、熱狂的なファンか、コンベンションとかサイン会で顔を覚えていない限り分からないのでは? 自分も好きな作家でご存命の方・・・例えば塩野七生先生。折り返しにお顔の写真ありますけれど、単行本の発売の折の写真ですから、現在のお姿は分からないですし。また、ラノベ系だと著者写真がない方も多いですしね。もしかすると、名古屋に出て、ブラブラしている間に、自分が好きな作品の作家やミュージシャン等々とすれ違ってるかも知れないですよね。東京だったらなおさらそういうことは多いかも知れませんね。
 そんな訳で、吉本氏の他にどういう人が集まっていたかわかりませんが、コアな人じゃないと分からない人達なら、そりゃもう素人には分かりませんよ。きっと。お店の人から見たら、ただのお客さんとしか言いようがないのでは。
 で、店の形態によっては、どんなお客さんであれ、平等に扱うことが大切だという所もあるでしょう。チェーン店とかは特に。政治家だって経済界の大物だって、チェーン店の牛丼屋では、あの何の変哲もない牛丼を食べる一人のお客だってことです。肩書きなんてナシ、ナシ! 好みで七味と生姜と卵をかけ、ハフハフッとほおばる。それが店に合わせた「客の分」、つまり、客としてわきまえなきゃならんことだと思います。居酒屋でも、小料理屋でも商店街のはずれのスナックでもそう。肩書きであーだこーだはランクが高いホテル、クラブや高級レストランだけでいいんです。
 日本の良い時代。それは、客は客としてわきまえなきゃならないことをちゃんと知っていた時代だと個人的に強く思います。客だから何でも許される訳じゃないと。それを知らない人が多すぎる事に私は非常に憤りを感じますね。お店やお店の中身(料理等)を楽しみ、なおかつ、お店の人が心地よく接客できる客でありたい。私は常にそう行動していきたいと思っています。