小料理屋さつき

かつて「はてなダイアリー」にあった「小料理屋さつき」をインポートしたもの+細々と。

1 月。母。教授。

 母が亡くなったのは1月で、その時雪が多かった。
 12月の半ばに病室であったときは、雑誌サライを渡しつつ「ここに載ってるような美味しいもの食べに行こうね」など話したり、雑談したと思う。でももうその頃は針を持てなかったかもしれない。病院から持ち帰った荷物の中に千羽鶴と小さな千代紙があった。
 
 年が明けてすぐ兄弟から連絡があった。母の症状が急変し意識混濁などありこの後分からないという。
 ウツが酷かったがさすがに行かねばと思い、面会時間の間に兄弟で交代しながらつきそった。
 母と自分だけの時、何故かわからないが教授の「裏BTTB」をCDウォークマンに入れ、イヤフォンを母の耳そばに置い聞かせてあげていた。
 何故裏BTTBを選んだのか覚えていない。収録曲がやさしい印象の曲だからだろう。
 だから今でも教授のピアノ曲を聴くと母の枕元にいた時を思い出す。

 教授の2022年12月のオンラインコンサートについてのメッセージ動画をYoutubeで見たら泣いてしまった。
 病気の事は知っていたけれど、詳しい事は調べてなかった。そもそも今の自分の記憶力は悲しい位なので調べても忘れていただろう。病気の事より、曲のことを覚えていたいし。
 1曲1曲分けて収録していることや病気のこと。何よりその姿。
 でも教授は最後に"enjoy" と言う。うん、それがいいよね。大事だよね。
 
 ぐだぐだ悩んでいる間にチケット販売時間が終わってしまった。1月に発売される新譜は予約した。
 そしてぐだぐだとまた悩みながらYoutubeをみていたら、サジェストにそのコンサートから公式配信された戦メリのテーマがあった。
 
 いのちのしずく。
 
 10代の頃から何度も聞いてきた。表情豊かな曲だと思う。やさしいタッチから始まるけど強いタッチになって、鳥が一斉に飛び去るように終わる。
 その、最初のやさしいタッチが本当に命の雫のように感じられた。音符のひとつひとつが。
 元々すらりとしてる教授の指。モノクロのせいかなおさら影を感じて辛い。
 
 コンサートが終わって数日だったろうか。記事を見かけた。そこではコンサート告知の写真と違い、微笑んだ教授の顔があった。
 自分が一番好きな教授の表情は、照れ笑いと苦笑いが混じってるような笑顔。どんな人でも笑顔が一番だけど、笑顔にも色々あるから、ね。
 また、新譜「12」についてのサイトにある画像で、器材のある部屋で音楽の仕事中ちょっと一休みという感じの画像。ゆったりしたシートを倒して休んでる教授。休んでるけれど呼吸を意識してるなぁって感じたり。眠るとか休むというより、安定や調息、平穏を感じる。

 人間、いつどうなるか分からない。一寸先は不明。光か闇か。流されるか逆転するか、誰にも分からない。
 教授が今でも持っているだろう「やんちゃ魂」がガン細胞をとっちめて、教授も医師もびっくりするような嬉しい展開になるかもしれない。
 人生には限りがあるけれど、最後の最後まであがきたい。自分が知る人達に逆転満塁打がありますようにと祈らずにいられない。
 
 母の話に戻る。
 母の余命について具体的な話を担当医から聞いたかどうかはもう分からない。あったのかなかったのか不明だ。
 でも母はあがいたと思う。針が持てなくても鶴を折り、最後まで手指を使うことを諦めなかった事から感じる。 
 その次に思うのは、自分はあがけるだろうか、だ。
 死ぬ、つまり、自分がなくなってしまう事が怖い。自分愛しさのもがきならあるだろう。でも、何かを残すためにあがけるだろうか。死にゆく自分の心身を見つめながら文章が書けるだろうか。
 母は鶴を折った。教授は今も音符を綴っているだろう。
 アンサーとしてでなく、自分愛しさでもなく、ただ、このblogを見に来て下さる方のために書けるだろうか。
 まあ、今まで自分が書いてきた事はほぼ自分の記録であり、この記事だってそう。自分愛しさがカケラもない記事があるかと問われればスミマセンと頭を下げるしかない。
 
 とにかく、とにかく。
 ネットの隅っこでぐねぐねしている自分の書き散らした事が、自分の知らない方のヒントになれば嬉しいなと思う。祈る。
 誰もが子供時代を持ち、大人になり、何らかを愛し、失い、悲しみ、苦しみ、人生を歩いて行く。
 自分の人生の道は銀河開闢より一つだけで、他の誰も歩く事は出来ない。独りの道。
 それでも先人が示してくださった様々な事は「一寸先の闇」を照らして行き先のヒントを与えてくれる。
 その一つ、砂粒でもいいから一つになったら、嬉しいな。
 
 メリークリスマスの、その先、1月に。