silent talk
ニュースサイトで学校での黙食に関する記事を読んだ。確かに話ながら食事するのは楽しい。だがCOVID-19事態の今、感染リスクは極力減らしたいし、何より「学校で感染した」となったらおおごとになる。学校側は避けたいだろう。
自分が学生時代にお世話になった寮は公団のもので様々な方が暮らしていた。また風呂は銭湯のように広い風呂場があり、トイレもキッチンも共用だった。
ある時、湯船につかってぼんやりしていたら、蛇口前に並んで座ってるふたりが手話で会話しているのを見た。ド近眼だが今ほどではなかったのでまあ分かった。
それを当時の自分は"silent talk"と感じた。後に手話ボランティアをされている方と出会い「手話は便利ですよ」と色々教えて頂いた。年老いてしゃべることが辛くなっても手話を覚えていればコミュニケーションは取れるよと。ある時その方がお母様を迎えにいくからちょっと寄り道となり、ある公共施設に到着した後、その方とその方のお母様が窓越しに手話で会話されているのを見て感動してしまった。
手話とは手で話すことであって、障害があるから手話を使わざるをえないのではなく、手話を覚えることで伝達手段が増えるのか、と。
思い出す。昭和時代の株取引。人々が背伸びして手で何やらジェスチャーしている。市場でも様々なジェスチャーで取引がされている。
皆が一斉に声を上げたら混乱するが、市場なら帽子についた記号とジェスチャーで誰がどの値段を示しているか分かる(と、素人なので想像する)。
黙食を機会に手話を学んでいる人達もいるのではと個人的に想像する。
リコーダーやハーモニカが教育現場で今でも使われているのか子供がいない自分には分からないが、感染リスクを減らすためにそれらを止めて打楽器など違う方向を模索している所もあるかもしれない。違う楽器を学ぶように、違うコミュニケーション手段を覚えるのも面白いのではないかと思う。
残念ながら自分はボッチであり、引きこもりだ。やはりリアルでコミュニケーションを取る楽しみがないとコミュニケーション手段を覚える楽しみが皆無かなと背中を向けてしまう。
独りって、色々寂しいな。