小料理屋さつき

かつて「はてなダイアリー」にあった「小料理屋さつき」をインポートしたもの+細々と。

世事多事:政権交代のみで考えれば/冬の時代へ

 民主党政権が終わりを迎えつつある感は否めない。しかし、長い自民党政権から政権交代があったこと。そして、国内外の様々な問題に対して民主党が行ってきた「結果」をネットが素早く伝えるようになって(情報の正確さ等はさておき)、人々が政治に対して関心を持つようになったのではと個人的に思う。そういう意味では、政権交代だけに絞って考えれば、国民にとって政治等に関心を寄せるきっかけとなったのではとも思う。
 逸材とか傑物とか呼ばれる人がいない時代。どの党が政権を取ったとしても変わらないと思う人は少なくないと思う。が、実際に政権交代が起こった後の変化は生活の範囲まで及び、また、大震災なども起き、政府がどう対応したかという情報は多くの人の目にとまったと思う。
 民主党はまだ解散についてずるずると引き延ばしをしているようだが、いつかは選挙をやらねばならない。その時、この政権交代で様々な事を感じた人たちはどこに票を入れるのか。それとも自分のように、逸材、傑物と呼ばれる人が居ない空虚な時代を悲しみ、白紙投票をするのか。
 石原慎太郎氏が都知事を辞し、国政に打って出るという。息子にはもう任せられないといったところだろう。政治に関わっているお二人のご子息は個人的にどうも頼りなく感じる。慎太郎氏の様な気合いというかオーラというか、眼力というか、そういうものが感じられない。
 でもまあ、何度もこのblogで書いているが、人類文明が徐々に冬の時代へ移っているとするなら、傑物の登場も期待できず、結婚に希望を持てなかったり、そもそも収入が低くて育児にお金を回せず出生率は下がり、本来学ばねばならないことを学ばずして学校を卒業していく人たちが増えていくだろう。ぽろぽろと砂の城が波に削られ崩れ去るように、様々な要素がネガティブな方向へ向かっていくだろう。
 勿論、なるべく多くの人が幸せな生活を送って欲しいとは思う。だが、人が沢山集まったとしてもあらがえない流れというのはあるのではないだろうか。何事にも終わりはある。それが何年先かはわからないが「Amazon:幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))」の様な結末をどうしても感じてしまうのだ。うつやBPDのせいだろうか。それもあるかもしれないが、やはり、日々ネットを流れる情報を見ると、そう思わずにいられないのだ。