小料理屋さつき

かつて「はてなダイアリー」にあった「小料理屋さつき」をインポートしたもの+細々と。

形影相憐:36年前に何があったのだろう? 

 私の母はC型肝炎を患っていました。そして、それからくる肝機能障害、さらに肝癌になり4年弱前に亡くなりました。母がC型肝炎と分ったのは母が亡くなる12,3年前。丁度父が亡くなってしばらく経ってからのこと。血圧が高いのでたまたま内科の個人医院に行って血液検査を受けたときに判明したのです。が、その時はもう手遅れの状態で、当時話題になったインターフェロンも有効かどうか分らないという話であり、ある程度「覚悟」は必要だと言われました。それを受けて急遽、兄弟全員が血液検査を受けたのですが全員非感染判定。つまり末子である私が生まれた時以降に「何か」が起きて母が感染したということになります。一体何が起こったのか・・・それは私にとって長い間心に引っかかっている疑問です。母は子供の頃〜結婚する頃までは貧血気味で輸血を受けていたりしていたとの話を耳にしていたのですが、その時に感染したのならば兄弟の中に感染者が居る可能性があるわけで。となると、やはり末子である私が帝王切開で生まれたときに、母がC型肝炎のウイルスが混じった輸血受けていたのなら・・・・
 父は私が高校生の時に亡くなったこともあって、あまり私は父自身のことを父の口からは聞いていません。母のことも殆ど聞くことがありませんでした。あの厳しい時代に多感な時を過ごしたせいなのかどうかは分りません。が、いつC型肝炎のウイルスに感染したのかは母自身疑問に思ってはいたようで・・・・しかし、そのことについてあまり深く私と母は話すことはありませんでした。まぁ、原因を突き止めようとしても既にもう「行き着く所が見えてしまった」せいなのかも知れません。
 どうしてこういう話をふっと書いたかといえば、昨日 「毎日WEB:薬害C型肝炎:フィブリノゲン納入先一覧を公表」 という話があり、ふと気になってしまったからです。郷里の一覧をみるとやはり産婦人科医院がちらほらあり、それで「もしや母は・・・?」と思ったからです。ただ、このリストで見てみると、記録として残されているのは昭和50年代以降のものであり、私が生まれた後ですから、私が生まれたときに私が生まれた所でこれが使用されていたかどうかは分りません。ちなみに私がどうして帝王切開で生まれたかといえば、出産予定日がとおに過ぎてもちっとも陣痛が本格的にならず、うだうだとしているので「これはマズイ」ってことで帝王切開という話になったとか。そして手術をしてみると、私はへその緒がぐるぐる巻き付いた状態でホヘーっとしていたようで。胎盤が腐りかけていて、もしもう少し放置していたら母子共々危なかったらしいよ、とだけ母から聞きました。
 ただ・・・もし、母がフィブリノゲンによるC型肝炎の感染ならば、厚生労働省や旧ミドリ十字に対して怒りを抱くというよりも、「もうちょっと普通に生まれろよ自分」とかいう自分に対する複雑な気持ちの方が強いです。赤ん坊の頃から今でもやっぱり「ホヘ〜っ」としてるようで、お乳でむせて窒息しかけたりとか、妙な所でひっくりかえったり、コケたり、ぼーっとしたりして、な〜んか人生ウロウロしっぱなしというか。
 それはさておき、もし運良く母がまだ存命であれば、フィブリノゲンに絡む話を耳にしてどう感じているかもう少し詳しく聞いてみたいとも思います。が、もう母は居ません。また、分っていた所で行き着く先が分っている以上、原因を探してあれやこれやするのは虚しいものがあるのかも知れません。
 参考までに、厚生労働省のサイトから:「フィブリノゲン製剤によるC型肝炎ウイルス感染に関する調査報告書(概要)」