小料理屋さつき

かつて「はてなダイアリー」にあった「小料理屋さつき」をインポートしたもの+細々と。

滄桑之変:学習は教科書だけじゃない。そして、戦争状態がもたらす悲しみ

 教科書検定の話が出る度思い出すのですが、何故「学習の対象が教科書のみ」なのかなと。
 確かに、世の中の動きに対して興味を示さない生徒達もいるでしょうが、そうではない、知的好奇心の旺盛な生徒もいるのではと思うのです。そういう生徒は教科書だけに頼らず、周囲の大人の会話を小耳にしたり、図書館やネットでいろいろと知識を取り込むわけですから、教科書がどういう表現をとろうと、それ以外の方面で知識を集める努力をするなら、教科書検定なんてあんまり関係ないって思いますね。
 特に、教科書検定の流れについて調べてみたりすると、逆に歴史等の教科書がアホらしくなるんじゃないでしょうか。
 こんな教科書よりかは、図書館に飛び込んで右や左、様々な視点から書かれた歴史関係の本や郷土史、歴史関係の記録映像を見る方がずっとためになると個人的に強く思います。
 私が中学生の頃、侵略じゃなく、進出等であるという話がありましたね。歴史の時間で先生が「どっちですか?」と私たち生徒にたずねました。ほぼみんな「侵略だね」って感じでした。
 私の世代だと、私のように祖父母や親が昭和ヒトケタ世代だったりするために、戦時を体験したナマの声を聞いているのもありましたし、生徒の多くが知的好奇心に満ちた連中でしたからね。
 本当、教科書から学ぶことよりも、ナマの声や図書館、メディアから学ぶことが多いと思うんです。私は幸運にも10代に、清濁混じった様々なコトを様々な場所から学ぶことができました。出来事としての事実は一つだが、真実は人の数だけある、そう思うようになったのも比較的若い頃だったと思います。
 
 集団自決問題以外にも、第二次大戦中の「敵国に対する考え方」などは、やはりナマの声を沢山聞くほかないのではと思うんです。当時の日本人で、グローバルな視点から物事を見ることが出来たのは限られた人だけだったのではと私は思います。
 敵の爆撃機が落とす焼夷弾の炎と同じように、敵の兵隊も自分たちを情け容赦なく貶め、辱め、消耗させ、焼き尽くすと思わされていた・・・いや、あの状態では、そう思わずにいられなかった、それが戦争の悲しさであり、非情さであると思うのです。
 さんざん炎を降らせ、自分たちの居所と家族を焼き尽くした兵隊が、「命は取らない、怪我や病気をしてるなら医者にみせる、食事や服もあげよう」と言っても、簡単に「はいそうですか」と信じるほうが戦時下の心理状態として難しいと思います。
 当時の誰が、どこが強制した、というのではなく「あの戦争状態」が、悲しい結末を日本、いや戦時中のあちこちの場所で悲劇の連鎖を引き起こしてしまったのだと私は思うのです。
 
 もっと広い視野で歴史を見て欲しいと思いますね。特に10代の人たちには・・・・戦前を生きた人たちは段々少なくなってきています。私が学んだときよりも、生々しい情報に触れる機会は少なくなってきていると思います。教科書だけに頼らず、自分の知的好奇心を信じて歴史の海で様々なことを学んで欲しいと願ってやみません。