小料理屋さつき

かつて「はてなダイアリー」にあった「小料理屋さつき」をインポートしたもの+細々と。

盧生之夢:あっというまの

 昨年40歳になったのに、まだまだちっとも精進が足りない感じがします。親父さんが亡くなったときに私の中の時計が止ったような、そんな気もしないでもないですね。いつまでもいつまでも子供のまま。今でも両親が「ちゃんとしなさい、いい子にしてなさい、○○はもうすんだの? 後かたづけは? 時間はまだいいの?」等々、後ろから呼びかけているような、そういうプレッシャーは今でもあります。親父の死は10年以上、母上の死はもう少し短かったですが、ある程度落ち着いて考えることはできるようになったものの、やはり夢にみたりすることもあり、この歳になっても「両親っ子」だなあと頭をかいてみたり。
 ただ、健康面で不安な点がぽつぽつ出始めたことは、やはり「歳なんだな」と思わずにいられないところがありますね。本の整理をしたり、いらない物を捨てたり等、身辺整理のようなことをし始めてますし。親父さんが54歳前に亡くなったので、その歳まであと15年もないのかと思うと背筋が寒くなりますし。10年なんてあっという間ですから。
 そして……やはり、両親に近づくことすら出来なかった自分の不甲斐なさをもの悲しく思います。40歳の時には、親父さんは、休むことなく大変な仕事をこなし、趣味を満喫し、実家を建てていましたし。母上も趣味や家事をきちんとこなし、私たちを育て上げていました。
 だけど、自分はどうか。鏡を見る度「なにやってんだ、自分……」とか思うことは度々あります。

 とはいえ。自分が生まれ持ったもの。そして選んでいった道。いつのまにか飲み込まれてまった濁流。忘れることの出来ない苦痛・怒り・悲しみ…… そしてウツという病気。両親の足下にも及ばない、誇れない人生。けれど、生まれてきて良かったと思っています。色んな物を見ることができたし、色んな所にも行きました。美しいもの、すばらしいもの。そんな人生の始まりは、両親が居て下さったから。だから私がいる。私が可能な限り長生きし、もっと色んなものを見、人々と語り、そこそこ書き、思う……私ができる両親への供養はそれぐらいしか思いつきません。
 10年後、私はどうなってるのだろう。せめて、もう少し両親の写真に向かってほほえむことができる日々でありたい、ほんの少しでもいいからそうありたいと思うのです。