小料理屋さつき

かつて「はてなダイアリー」にあった「小料理屋さつき」をインポートしたもの+細々と。

盧生之夢:はなはだ極論だが。

 ふと、こんなことを思いついた。現代は子供を育てるのにお金がかかりすぎる時代だと思う。そして「専業主婦が家事や子育てだけをやっているのは勿体ない」なんていう話をする人も居る。
 それならばいっそのこと、生まれた子供は国の全寮制の教育施設で就職するまで居れば良いのではとも思う。その費用は国持ち、つまり税金だ。自分のように子供が居ない人も、将来を背負う子供達のためにお金を出す。
 教育施設では将来の就職に向けた技術の習得から家事なども学んでいく。子供の資質に合わせたコースを進ませ、画一的な教育は行わない。文化系が得意ならそれを伸ばす方向でいいのではと思う。無論、文化系の子供であっても、理数系の基礎は大事だ。だが苦手とするなら、よくかんで教えるようなカリキュラムを作って欲しいと思う。逆もまたしかり。
 無論、子供を手元で育て上げたい人もいるだろう。学校に行かせず、家庭教師をやとってその子のペースに合わせて教育していきたい人も居るだろう。家業の技術を子供の頃から仕込ませたいという人も居るだろう。そういう人のニーズにもできるだけ応えることができないだろうか。
 兎に角、一旦親になってしまったら後戻りはできないのだ。やりたい仕事をあきらめ、親として家族を養うため、血眼になり心に傷を負っても働かねばならない人もいる。それでその人は良い人生だと自分で感じることができるのだろうか? ならば子供を作らなければいいと言う人もいるだろう。そうなれば将来、国は先細りしていく。自分が死んだら後のことは知らないというのは一寸無責任ではと思う。国を思うなら。
 また、望まれず生まれた子供達や、アクシデントで親を失ったり、親が病気などで子育てが出来ない状況に陥ったとき、また、虐待などの悲劇に巻き込まれた子供達が上記の施設に入っても、国が保証をし、就職するにおいて「保証人がいないからウチではとれない」などというハンデとならないようにケアしてあげて欲しいとも思う。
 子供は大人の先の時代へ進んでいく。自分たち大人がもう居なくなっても、彼らは歩いていかねばならない。子供が自力で道を開拓できるまで、大人は先に立って道を切り開き、その方法を子供に伝えなくてはならない。しかし大人も人間だ。自分のやりたいことだってしたい。子供のことだけで生きていたくないという人もいるだろう。子供が自活出来るようになってからでは遅いこともあるかも知れない。だからこそ、社会・国が子育てにもう少し大きな力を出して欲しいと願う。
 自分は子供が居ないため、好き勝手生きている。子供を育てている人を見ると、なんとすごいのだろう、そして、自分らしく生きているだろうかとお節介なことも思ってしまう。
 100%満足する人生などないのは分かる。しかし、少し「自分らしく生きていける」社会というものを、大人になっても、遊び心や余裕をもって生きていけるような社会になって欲しいと個人的に思う。