小料理屋さつき

かつて「はてなダイアリー」にあった「小料理屋さつき」をインポートしたもの+細々と。

(新規購入編):まぶしい。

 「Amazon:美しく怒れ (角川oneテーマ21)」(岡本太郎著)を購入し、先日からちょびちょび読んでいるのだけれど、なんていうか、岡本氏、いや太郎先生の言葉がガツンガツン心身に来て、良い意味でのショックが大きすぎ、読み進めることが難しい。ちょっと読んでは本を伏せ、咀嚼したり出てきたキーワードを検索したりしている。
 あのときの感覚に似ている。Tipoのオーバーヒートミーティングに行ったときの、強烈な暑さ。湿気はそれほどないのだけれど兎に角喉が渇いてしかたがない。パドックの強烈な照り返し。あの感じ。
 それと、なんていうか、文章というより口述筆記のような感じも受ける。それは、「岡本太郎の著作を読んでいる」というより、本の中から太郎先生の声がバンバン飛び出てくる感じがするからだ。TVで見たときのように、ジェスチャーを交え、表情豊かに、半ば叫ぶような感じの声で。そして、手品師が変化する音楽に合わせて色々な芸を披露するように、様々な話題を交えながら話を進めている。行の、フレーズのひとつひとつがまぶしくて、しかも自分のこころを魅了するので目が離せないのだ。だから、気力を使ってしまい、読み進められない。
 感想とかを書くより、読んで下さいとしか言いようがない。でも、こういう太郎先生のスタイルが合わない方もいらっしゃると同時に思う。Amazonのこの本のページは中身をちょっとだけ読むことが出来るけれど、ここの章はちょっと大人しい。その次から面白くなるのになと。少し残念。だから、気になった方はまず「はじめに」の所と、28pから34p位を本屋さんで立ち読みするなりして気に入ったらレジにと思う。28pから34pには、「ベトナム海兵大隊戦記」という1965年に放映されたドキュメンタリーを見た感想から、第二次世界大戦頃のご自身の体験等を、残酷な現実という章タイトルにそって述べてらっしゃる。内容は戦争に対する思いだけれど、それよりも、人間対人間の極限の域にあって発出する生々しさを直視することを忘れてはいけないという感じに受け取った。「Amazon:ベトナム戦記 (朝日文庫)」(開高健著)でも、粛々というか……語彙が乏しいからどう表現していいか分からないのだけれど、開高先生は体験した事を「ただ、ありのまま」という感じで書いてらっしゃるように思う。だから、胸にくる。
 自分自身、人生で苦しい事があったけれど、ドハデなケンカじゃなくて、ジメジメして、足下からゾワゾワと虫が這い上がってくるような、なんていうか……他人からすればどうでもいいように見えるけれど、当の本人は傷つき、苦しみもがいている状態というか。唇を噛んで、爪が食い込むほど拳を握って耐える、そんな感じの事もあった。むしろ言い合った時の事の思い出とかは、思い出しても今はあまり苦しくないと思う。上手く言葉に出来ない。
 あと、今回「ベトナム海兵大隊戦記」について知り、検索してみた。当時日本テレビにいらした牛山純一氏がディレクターとして制作した番組だけれど、取材チームが撮影したフィルムは10時間分あるそうで、そのフィルムの行方が気になる。検索すると、1965年に放映されたのは30分番組で、2012年に50分のダイジェスト版の上映会があったという。それらも重要だけれど、それ以上に、ベースとなった10時間分のフィルムは非常に貴重な資料ではないだろうか。ベトナム戦争当時、軍関係者以外だと現地の人か記者やカメラマンしか目撃する事がなかった場面を収めてあるとしたら。ベトナム戦争の総括とか、報道姿勢とか、戦争反対とかそういう観点ではなく、歴史的資料としてもさることながら、人間対人間の極限の域、そして、人間が人類文明を歩む途上で何をしてきたかの一場面として人々はこの映像資料を見ても良いのではと思う。確かに、覚悟は必要だと思う。実際に放送された部分でもショッキングなシーンがあったというから。だけれど、人間は極限までいってしまうとこういう行為までやってしまい、その時どういう表情、仕草なのかという事を見る事が出来ると思う。
 それにはきっと、フラッシュグレネードのような強烈な発光があると思う。人間とは何か。個人個人考えるきっかけ……強烈で、心の中にフラッシュグレネードを放たれた感がするかもしれないけれど、人類文明や歴史について学んでいる人には貴重な資料になると思う。