小料理屋さつき

かつて「はてなダイアリー」にあった「小料理屋さつき」をインポートしたもの+細々と。

世事多事:現実は厳しい

 「為末大「努力すれば成功する、は間違っている」 「正論」なのに「炎上」してしまうのはなぜ : J-CASTニュース」という記事を読んで、こういう事をハッキリ言う事は重要じゃないかなと思うんですよね。
 スポーツをやっている人にも色々なレベルがあると思うんです。趣味の域、もう少し鍛えて地域の大会に出るレベル、全国大会に出るレベル……最終的に至る所がオリンピックだと思うんです。ピラミッドの頂点だと思いますよ。甲子園だって、大会当日ベンチに入れない部員の方が多い学校だってありますよね。プロ野球選手の人生模様とかも色々で。
 スポーツをする本人が最終目標をどこに置くかで変わってくるでしょう。草野球、休日のフットサルで、大会に出るとか全然考えてないという方もいるでしょう。それならば為末氏がお書きになった「できる体に生まれる事が大前提」とまでいかなくても良いと思います。指導者の方も「無理をさせない指導」になるのではと想像します(自分は運動はまるきしダメなので良く分からないのです)。ですが、全国大会やその上を目指すとなれば、ある意味「職業:アスリート」になる訳で。それは自らの心身全て、生きる日々、時間全てを競技での成功の為に捧げる事に他ならないと思います。努力は必要でしょう。そのエネルギーとして「メダルを掴む瞬間」を思うことも大事でしょう。けれど、アスリートの資本は心身だと思います。肉と骨と心が「求められる水準」に達していないのに「努力すれば超えられる」というのはどうかな、と。
 「指導者の立場として『努力は報われる』と励ますべきだろ!」という声があがったと記事にありますが、じゃあ無理をさせて選手の心身を壊してしまったらそれこそ大変なことに……最悪、障害が残ったりする可能性だってあるのではと思います。むしろ冷静に「君の心身は残念ながら水準に達していない」と告げるのは指導者として大事な仕事だと思うのですが。もう一つ大事なのがその後のケアでしょうね。それまで、アスリートで一本立ちする為に生きてきた訳ですから、この先どうすれば良いか分からない方だっていると思います。その宣告をした後で「今の君ならこういう道に進むのがいいのでは」というアドバイスが出来るか、選手に納得させる事ができるかがポイントではないかと自分は思います。
 あと2割とか伸びしろがあるのに出し切れてない、出したら上のステージに上がる事ができるというのなら「努力しよう、頑張ろう」と指導するのはアリだと思いますけれど、10割出し切っても壁を超えられない人がいる。トップアスリートの世界とはそういうシビアな世界なのだろうと自分は想像するのです。
 別にこれはアスリートの世界だけじゃなくて、リアルのあらゆることでも言える事ではないでしょうか。自分は病気を抱えて生きてます。社会人として生きる事は出来ません。普段は静かに生きていますが、たまにトラブルがあったり、自分で解決しなければならない事は起きます。健常な方ならサッサと片付けてしまう事だと思いますが、自分は頓服を飲んだり頭をかきむしって苦しみつつやっと糸口がみつかるかも……というレベルです。
 「生まれ持った器」を超える事は出来ないと思っています。それを超えて何かしようとした時、失敗したり周囲の方に迷惑を掛けたりするのではと自分の経験から感じます。急いでその「器」を探さなくてはとは言いませんけれども、社会人になってある程度経ったら考えるべきことかもねとも思います。