小料理屋さつき

かつて「はてなダイアリー」にあった「小料理屋さつき」をインポートしたもの+細々と。

文章を書くということ

 「文章を書く」という部分でちょと夫婦間でケンアクな雰囲気になってしまったことがあったので、私のスタンスというものをここで少し明らかにしておこうかなと。

★常に多くの方に読まれているのだ、という意識を持って
 私が本格的にインターネットを始める前のことですから、もう10年近く前になると思います。とある方からこういうお話をいただきました。「インターネットの時代になって、誰でもが自分の意見をストレートに世の中に発信してしまう。そのプラス面、マイナス面についてよく考えて欲しいと思う」ということでした。確かにプラス面は今、多くの方が実感してらっしゃるので特に私がここで触れる必要はないでしょう。しかし、マイナス面についてはあまり気をつけて書いてらっしゃる方がいらっしゃらないのではと、今更ながらに思いますし、自分自身、文章を書く上で気をつけなければと思っています。

 私の書く文章をご覧になって、少なくない方が「無難に論点を強調せずにいるな、こう、インパクトに欠けるな」と思ってらっしゃるかもしれません。確かに私も普段家で口にしている話では過激なことを言ったりもします。しかし、インターネットという「WEBに接続できる誰もが見ることができる」場所では、それらは余程のことがないと「オフレコ」扱いにします。なぜなら、口頭での意見の交換というのは「交わされた意見のポイント」だけがよく残りやすいのに比べ、文章はまるまる残ります。また、文章での意見を感情的に書いてしまうと、その論点について私とは逆のご意見をお持ちの方が読まれた場合、ただただ不快感だけが残るだけで、逆に相手の方を激昂させてしまう可能性が少なくありません。私のポリシーとして、たとえ私とは逆のご意見をお持ちの方が読まれても「確かに朝霞と私とは意見が違う。しかし、朝霞がそう考えるというのは分からないでもない」と思って頂ければ幸いと願いながら書いているからです。
 私自身、私とは意見の異なる方のご意見をWEB上で拝見することは多々あります。それを読ませて頂き、ただ不快感だけが残るものもあれば、自分の意見を変えることはないけれども、あまりの文章の見事さに膝を思わず打ってしまうものもあります。できれば私は後者でありたいと願うのです。

★もめ事は嫌い
 私のそういうポリシーというかスタンスの背景には、草の根パソ通の時代にいろいろと「揉まれた」経験があるからです。自分の意見をことさらながらに強く押しだした文章を書きまくり、確かにそのインパクトで少なくない方の目を引きつけはしたものの、反感も少なくありませんでした。モメたりもしました。私は「ケンカ上等」という生き方はしていません。また、最近さらに悪質化してきているネットストーカーのこともありますし、依頼を受けて荒しを行うグループの存在も知っています。私は好きこのんでトラブルに巻き込まれたくないですし、ただ、穏便に自らの意見を少なくない方に見て頂いて、「ああ、そういえば朝霞というヤツがあんなことも書いていたな」とふとした折にでも思い出して頂ければそれで幸いだと思っているのです。

 確かにヒット数の高いサイトで「インパクト狙い」のものもありすし、それを否定はしません。しかし私は、たとえ人生のほんの短い期間であっても「文章で食っていければ」なんて思ったことがありますし、今でも図書館で過ごすことを楽しみとし、美しい文章をこよなく愛する身としては、読み手の立場のことも考えて文章を書くべきだという意識を常に持って文章を書いていかねばと思わずにいられません。・・・・・たとえそれが箸にも棒にもかからない中身と文章であったとしても(笑)
 また、私は具体的な個人情報をあまりWEB上では明かさないようにしていますが、旦那がおおっぴらにしているもので少々困っています。ネットストーカーの話などをよく聞いていますし、予防策は常に取るべしという私のポリシーからすると危うくてしょうがないのですが。

★断定は避ける
 そういうことから私が思ったことの一つに「なんらかの意見を書くときには断定するような書き方は避ける」ということです。ですから、私がよく使うのは「個人的には〜だと思う」という書き方であり、「〜については〜に他ならない」という風に書くことは滅多にしません。また、なんらかのコミュニティやグループについて、ひとくくりにせず、先日冷麺の項で触れたように、「どんなところにもいいヤツもいれば、悪いヤツもいる」という風に、そのグループなどの一部について、というような書き方を心がけるようにしています。

 「たかが個人的な文章だし」というご意見もあるでしょうが、検索エンジンでガッツリ引っ張られますから(巡回ロボット除けの一行を付け加えていれば大抵逃れることができるようですが)、うかうかとはしてられないと思います。また、はてなダイアリーですとキーワードで来てくださる方がいらっしゃいますし。先日サッカーのお話をちょっこり書いたらストトッと来てくださる方がいらして、あらあらまぁまぁと驚いたりしましたから。ですからなおのこと気をつけねばと思う次第です。
 話は少し遠回りしますが、何度かの引っ越しなどを経て私の本棚の中身はかなり入れ替わりがあり、特に教科書はあらかた消えていってしまいました。が、高校の古文の教科書と現代文の教科書は何とか難を逃れ? 今でも本棚にあります。受験や成績という重荷から離れた後にこれらの本にあるある美しい文章を見ると、古語でつづられた文章のの趣き、言葉の響きの良さに胸を打たれます。また、現代文の随筆など、限られた文字数のなかでしっかりとポイントを押さえつつ、美しい文章運びをしていることにまた胸を打たれます。
 それらに触れると思うのです。「素人が本物を作ることはできないが、本物に限りなく近づこうという努力はできるはずだ」と。また、本物を見続けることによって、目をしっかりと肥やし、あからさまな偽モノと本物を見分ける位のことはできるようになるのではないだろうか、と。日々氾濫する様々な文章・意見のなかから、邪推や独りよがりな思いこみから書き上げられた文章に踊らされることなく、冷静にコトを見守ることができる・・・・そして、それらについて心を落ち着けて自分なりの思いを文章にすることができるのではと思うのです。
 私はただの素人です。しかし、文章を書きつづる者としての心構えだけは忘れてはなるまいと思います。また、そういう私の文章について「それは違う」というご意見にも素直に耳を傾け、精進していきたいと思います。