小料理屋さつき

かつて「はてなダイアリー」にあった「小料理屋さつき」をインポートしたもの+細々と。

滄桑之変:もう、年末なのですね。

 F.S.S.の連載再開で大騒ぎしたのがついこの前のことのように思えます。でも、机のブックスタンドに並んでいる今年のNTをみれば、あれから8ヶ月も経ってしまったのか……と感慨深いものが。
 私事でもドタバタしたり、相変わらず体調が悪かったりと順風満帆とは言えない一年でしたが、兎に角、生き延びました。今この瞬間生きているということが自分には大事であり、有り難い事だと深く思っています。
 来年がどういう歳になるかは分かりませんが、少しは落ち着いて欲しいと思います。無論、F.S.S.は盛り上がってほしいですけれどね!
 ということで、久々に年末画像を。リヴリーアイランドからの画像です。

ファイブスター物語/FSS/F.S.S.:リブートK.O.G.到着!

 すっごい、すばらしい出来です。L.E.D.と並べると、L.E.D.が華奢に見えてしまう位、威風堂々とした雰囲気があります。モールドはくっきりしていますし、バスターランチャーの基部も複雑な構造で、ワクワクしてしまいます。ゴールドの塗装は難しいと聞きますが、非常に美しい仕上がりになっています。関節内部や胴をカッパーゴールドにしたのも違和感なく、まさに「黄金の電気騎士」という感じ。ただ、今回もなのですが、ケースのF.S.S.ロゴのせいで正面から見ないと(自分は、自分の机の左にある本棚中段に置いていますので、机に座っていると斜めから見ることになります)ロゴが邪魔をして見えづらいんですよね。ロゴをケースに印刷する必要があったのかなと疑問です。また、ブリスターの土台も不安定です。別売でも構わないので安定したベースが欲しいなと思っています。二体で70kの出費でしたが、その価値はあると自分は思っています。ガレキを組むことが出来る方ならば違う考えもあるかも知れません。しかし、それが出来ない自分にとっては、今回の二体は非常に満足しています。

ファイブスター物語/FSS/F.S.S.:そろそろ、机の端に置いてるNTの量がはんぱなくなってきて。

 ◆このバカ娘!
 さーて。
 自分は10年近く前に子宮筋腫で子宮を摘出したため子供が産めない身体になりました。自分はそれ以前から他の病気を抱えている事もあり、「自分の面倒さえ見切れぬ女が子供を育てる事は到底無理」と唇を噛みながらも割り切らざるを得なかったのですが、子宮を摘出した女性の中には「女じゃないと言われた」とか「女性としてのアイデンティティを見失ってしまった」と深く悩んでらっしゃる方は少なくありません。自分でさえも「ああ、母が今の自分と同じ歳の頃、母は子供達の面倒で日々てんてこ舞いだった。そして、末子の変な娘をどうしたものかと悩んでいたのだろう」と考えるのです。先述したように一度割り切ったものの、やはり自分に子供がいたら、今どうなってただろうと思う事はあるのです。男の子だろうか、女の子だろうか? どんな子供だろう? 本が好きかな? 一緒にゲームして担任に一緒に怒られるのかな? とか。そういう事が頭によぎる回数が歳を取る毎に増えてきたなぁと感じてます。「頭では分かっているけれど、気持ちは……」と、ね。そんなわけで、子供を産み育てる事について、自分は複雑な思いを抱いています。ですから、今月号の最後の方を読んで複雑な心境になりました。とても。
 女性にとって子供を産み育てるということ、実際に産み育てるだけでなく、出産育児について考えることすら大きな問題なのだと思うが故です。こういう身になった今の自分であっても。
 自分語りはこれ位にして、と。
 フンフト、詩女というよりも、酸いも甘いも知った「世知に長けた大人の女」として乙女のクリスに上から目線で言い切ります。戦場で戦うだけが帝国の為に戦うという事ではない。帝国のために騎士を産むのも戦いなのだと。
 乙女のクリス。そりゃあ怒りますよ。愛する人と結ばれ、その結果として子供を授かるのが自然なことだと思っている……けど、本当に愛する人と結ばれる事は許されない。だからこそ、愛する人のために騎士として戦おうと決めたのだから。好きでも無い男と手を繋ぐのさえ嫌でしょうね。それなのに子供を産む目的の為だけに男と寝ろと言うのか、と。前回も使った表現「クリスのヤカン」が沸騰ですね。
 ビィ家の娘……剣聖も出したサヤステ家とともに帝国を支えたマーカス家の分家。例え凶状持ちであったとしても、クリスの「血」が重要だとアドー王は言います。一石二鳥だとも言いますが、重視しているのは「血」であり、領地を与える事で臣下を懐柔し従える王と同じように、元老院の貴族達にクリスとの臥所権を与えることでアドー王は権勢をより強くしたいのだと自分は考えます。
 もしクリスが凶状持ちではなく、バーバリュースが存命ならばこのようなことは出来るわけないでしょう。バーバリュースやレーダー8世が手を尽くして嫁ぎ先を決めるなり、彼女の意思を尊重して嫁入り仕度をしたに違いありません。騎士としての役目を果たしつつも、恋をしたり多くの人達と触れあったり、そして美しい花嫁衣装を両親に披露したでしょうに。
 ですが今は後ろ盾が居ないどころか、自分のことすら自分で決める事ができない。さらには、泥水を飲めと言われたら飲まねばならぬ存在なのです。それでも、それでも……彼女はヴィ家の娘であり、騎士です。星団でも特に誇り高いフィルモアの騎士です。目の前で先月号のような事を見せられ、さらにはこのような仕打ち。刀の鐔に手が行ってしまうのも無理からぬ事。
 マグダルとデプレが「山椒大夫」の物語のように……というのは前々からセンセが触れていましたが、クリスがこういう扱いをされそうになるとは想定外。これが多分「純真な女性読者が怒るだろう」とされていた事なのかな、と個人的に感じます。
 でもちょっと待って。例えクリスが意に沿わぬ男と臥所を共にしたところで、妊娠した子が騎士になるかどうかは分かりません。
 騎士を親に持っても騎士の素質を持った子が必ず生まれる訳ではないことは物語の中で語られています。単行本7巻のヤーボとアイシャの会話でヤーボが「最弱の染色体をもつ騎士同士で子供が出来るなんてめったにないのよー」と言っていますね。また、その逆パターンとして、騎士ではない両親の元に生まれたヨーンがいます。
 デザインズ2の92pにもこの件について1p丸々文字で埋めて説明があります。「騎士の力はジョーカー星団の人々のすべての遺伝子に行き渡り、劣性遺伝的な要因から20万人に1人という確率でしか生まれてこないとされている。しかし、なぜ騎士はこのような不安定とも言える発生率なのか? また、なぜジョーカー科学で人工的に騎士を生み出すことができないのか? さらには騎士の親から生まれた子供ですら確実に騎士となってうまれてこないのか? この仕組みをわかっているのはマイトたちだけのようである。そのマイトたちですら騎士を人為的に作り出す事はできない。この仕組みはすべて炎の女皇帝が仕組んだことで、超帝國の騎士の発生のシステムに由来している。(中略:ここで女王蜂が何故生まれるかについて触れている)星団歴の騎士とは受精卵の発生後何らかの要因によって生まれてくるものなのだ。なぜならすべてのジョーカー人類は騎士となる遺伝情報を持ちながら非常に少ない確率でしか騎士とならない。この迷彩を炎の女皇帝は「乱数」、人の世で言うところの「偶然」に任せるプログラムとして後の人類に与えたということなのだろう。(中略)ジョーカー人の遺伝子にはこのわかりやすいスイッチが個人差と成長による時限スイッチなどに迷彩によって隠されているからこそ、騎士の発生が制御できないのである(中略)超帝國の純潔の騎士と言われるスバースの子孫達はこのスイッチが非常に入りやすい遺伝子を受け継いでいたということになのであろう。(中略)また、コーラス王家のみに現れる「長子は騎士の力をもって生まれてくる」というのもこの隠されたスイッチが確実にあるということなのであろう。第9巻でのボードの話を読む限り、この騎士を発生させる遺伝子プログラムは遅くとも成人前でなければならないようだ」
 引用が長くなっちゃいましたが、炎の女皇帝が、それまで独占的に……女王蟻が兵隊蟻を産むがごとく騎士を生み出していたのを止め、星団の人々の中に隠れたスイッチを仕込んだのでしょう。そのスイッチが入れば騎士に。入らなければただの人。そして、ごくたまに劣性遺伝要素のみ受け継いで生まれる子も居て、それがダイ・グの父のような……病弱だったり何らかの障害を持って生まれるということなのかも。
 でも、純潔の騎士の血を引いていたり、コーラス王家の事、そしてクリサリス家やコーダンテ家のように、強力な騎士を生み出す可能性が強い家というのはあるのでしょうね。スイッチが入りやすいという血筋。ヴィ家もそういう血筋だからアドー王が目を付けたのでしょう。ぶっちゃけ、そういう血筋なら数打ちゃ当たる、とね。失礼な話としか思えないけれど。
 ◆権力を振るう事
 上記の事を考えると、やはりアドー王がクリスとの臥所権を貴族達に売ることで自らの権力を強め、その貴族達の支援を受けつつ、ナカカラと中原の平定を何としてでも成功させたいのでしょう。システムカリギュラと手を組むことで払う代償がどのようなものであっても、帝国の歴史を変えた人物になるというのは、権力の座に就くだけで無く、その力を十二分に振るう事の快楽。それが、今月号の終わりのアドー王やティルバー女王の表情に見る事が出来ます。
 さて、67pの最後のコマ、シオの門番の真ん中の人物の手がGTMの手みたいですが、重合人間だからこういうことができちゃうのかな……というか、そもそも「重合」って何? って思ってウィキペディア読んだらますます分かりませんっ。
 「重合体 - Wikipedia」

 重合体(じゅうごうたい)またはポリマー(英語:polymer)とは、複数のモノマー(単量体)が重合する(結合して鎖状や網状になる)ことによってできた化合物のこと。このため、一般的には高分子の有機化合物である。現在では、高分子と同義で用いられることが多くなっている。ポリマー(polymer)の poly- は接頭語で「たくさん」を意味する。
 2種類以上の単量体からなる重合体のことを特に共重合体と言う。
 身近なものとしては、繊維に用いられるナイロン、ポリ袋のポリエチレンなどの合成樹脂がある。また、生体内のタンパク質は、アミノ酸の重合体である。

 ……ということですけどわかんないです−。
 ◆思い違い
 「あの耳飾りをもっている以上気になります」というのはフンフトのセリフでしょうか。そうであれば、フンフトはあのイヤリングの由来と意味する所をを知っているということですね。そうであれば、「このバカ娘!」の意味合いも変わってくるかも知れません。2ch本スレで見つけた興味深い書き込み。

121 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2013/12/10(火) 17:36:04.29
あの負けるなはすごいキーになってる気がするわ
フンフト様がダイ・グが本当に好きなら相手が皇帝だろうと世間の目がどうだろうと強引に押し倒して子供作ればいーんだよ馬鹿娘、って唆してるように見えなくもない
189 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2013/12/10(火) 21:57:47.59
>>121
あー、それヤーボが身籠った時にアイシャ話してたなあ・・・

187 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2013/12/10(火) 21:39:28.33
>>121
フンフトも慧茄も、真意はそっち(強引に押し倒せ)なのかもしれないな。

フンフトがクリスに言ってる台詞も良く読めば

あなたが帝国の「犬」と呼ばれることを認める「ならば」、
雌犬として望まぬ子を宿し生み続けることがあなたの「役目」。

そんなのイヤなんでしょ?
じゃあ自分のことを「犬」だなんて言ってはダメじゃない!
そんなこともわからないの?
このバカ娘!

という意味にも取れる。
そうだとしたら、それに続く最後のコマのクリスの「決意」すらも「思い違い」なのかもしれない。

慧茄の台詞「やっぱり…あれではだめですか…」も、せっかく真の王妃の証の耳飾りをあげたのに、その意味が全然クリスに伝わってないことを嘆いているようにも読める。

でもな〜、12巻の最後に「2人の花壇に絶対花が咲くことはありません」と断言してるからなぁ。

クリスに「咲かぬなら、咲かせて見せようホトトギス」とでも言わせたいのか?慧茄おばあさまは?

 「自分の意思を持つ事が許されぬ者」と自分で自分を縛り、自分の人生の道を切り開く事を諦めてしまったクリス。でも、もう少し彼女自身が心身ともに成長をしていけば、いや、今回の場合、凶状持ちのハイランダーという条件はあるものの、その中でもがき、あがき、悩んで否が応でも成長しなくてはいけないって事なのでしょう。慧茄は単行本12巻の終わりでクリスに伝えています「この耳飾りは片時もそなたを見捨てませぬ」。帝国、いや星団のありとあらゆる存在が彼女を蹂躙しようと、彼女の心を見守り続けるのだと。
 歴史を紐解けば、国家や家の為に意に沿わぬ結婚をした王族や貴族の女性の話は沢山あります。クリスがそんな女性のように、自分らしい生き方ができなくても、彼女が自暴自棄にならず、くじけない限り……かつてダイ・グが初陣前の彼女に語ったように、生き延びる事こそが彼女を見守り大切に思う人への最大の応えになるのだと自分は思います。
 自分は両親を早くに亡くし、兄弟と骨肉の争いをし、なんやかんやで転居を繰り返し、それ以外にも問題やトラブル、病気を抱えていますが、自分は生きています。今、ここで生きているという事実が大事なんだと自分は思っています。
 自分ではどうにもならぬ事で翻弄されるクリス。それでも彼女は生きる。そして、自分の心の中に名も無き草花のように強い「生き抜く心」を持ち続ければ、立派な花壇に花は咲かないけれど、ラーンへの道のに咲くあの花々のように、彼女が成した事が後々まで語り継がれるでしょう。そして詩女の記憶の中にも刻まれると思うのです。
 がんばれ、女達。
 ◆えっと?
 ……で、このところずっとフィルモアのターンなので、2ch本スレの書き込みの中には「主人公どこー?」とか「このままでは13巻にアイシャ様が登場しないのでは」という話が。ううむ。
 アイシャ様の件については、大体10ヶ月〜1年連載分が単行本になってると思うので単行本3巻の「ぶぇ〜〜〜っくしょい」の時みたいに、1コマだけでも無理矢理登場なさるのではと思ってます。
 ってことで、自分の境遇とかなんかからめちゃったら、だらだらっとした文章になっちゃったかも。水曜はネトゲがメンテの日なので、だらだらっと書いてたらこんな量に。うーん…… なんか空回りしちゃったかも。ぽてっ。

ファイブスター物語/FSS/F.S.S.:男と女の……

 ◆フンフト、がんばる
 自分がNT12月号を入手したのが11日だったので、それまで2chの本スレを見ていたのですが、フンフトが「え ろ い」とか「乳首乳首乳首」とかそういう感じの書き込みが多かったので、「も、もしや、火傷アイシャのパンツ一丁カメラ上から来てますよ」を超えるナニカが来るかと思ってたんですが……なんていうか、ステレオタイプなお色気描写だったので「え……う、うん……そうね」という印象でした。確かに、ノーブラ&ガーター&パンチラで頑張ってる! と思います(フンフトもセンセの描き込みも)。アイシャやミス宇宙軍の「おっぴろげ系スッポンポン」とは違って、正当派? のチラリズムだなと。ペール会長とはまた別方向のセクシーさですね。うんうん。
 欧米だと案外ノーブラTシャツでウロウロしてる女性は多いとか。実際自分が欧州へ行った時見かけていますし、海水浴場(自分はホストファミリーと散歩してただけですけど)で、トップレスのハイティーンを見てビビった思い出があります。あの頃の自分は純情だったなぁ…… 今は、なんかもぅ色々エロエロ見過ぎちゃって「こ、これ位でビビるおばさんじゃあないわヨ!」なーんて強がったり。あはは。
 それはさておき、先月から引き続き熟女の魅力を展開しダイ・グに迫るフンフト。でもそれはあくまで「目的の為の手段」だというのは67pの彼女の表情を見れば分かります。今の彼女は恋に生きた経験を持つ女性である前に「詩女」であり、ハスハントが再びハスハの民のものとなる為に全身全霊をかけねばと考えていると自分は感じます。「女の手練手管」、それが彼女が持つカードの一つならば使わぬ手はないはずです。66pまでの彼女はセクシーオーラ全開、いわゆる「美熟女のお戯れ」という感じでしたが、66pの最後のコマで彼女の肩に「詩女の蛇の紋」が浮かんで来ます。それが「戯れでやっているのではない」という事を示しているのでしょう。一筋縄ではいかないわよ、と。
 ちなみに、ナカカラは、天照命在位中、ボスヤスフォートが玉座襲撃した頃の詩女ですね。ナカカラも当時のフィルモア皇帝であるヨミと縁があったのでしょう。それがどういうものか、デザインズで語られる事があればいいですね。
 <11/30追記>デザインズ3にありました。「ヨミ・ルーカ・フィルモア2の星団歴2000年初頭の「聖宮ラーン・東宮西宮蜂起」への関与。続いての「ミグノシア動乱」ではアンデ・ハウ・フィルモア3がハスハ連合共和国発足への援助、そして、ダイ・グの祖父であるフルダ・ダイ・グ・フィルモア4の時代はハスハの巫女ボルサの姉、慧茄が……」とあります。東宮西宮の乱は、デザインズの136pに記述がありますが、星団法が生まれたきっかけにもなったとか。典星舎がでてきたり、フィルモア、コーラス、クバルカンが出てきたり……そして、カリギュラも一枚噛んでいましたね。連載の中でそれに触れることがあるか気になります。
 ……あ、あれっ? 連載だとボルサは慧茄の弟の娘=姪だったような? デザインズ2の家系図だと兄の娘っぽいですし…… これだけ登場人物がいれば誰が誰だか作者もわけわかんなくなりますって例かな。わはは。正解はデザインズ4を待て、でしょう。もしかするとボルサのキャラシートが出てくるかも、でしょうから。
 ◆彼より彼女(達)が一枚上手だった?
 一方のダイ・グ。セイレイと「勝手に」デートの約束とか呟いてみたり、クリスとの事があったりと、惚れっぽい青年というのは既出でした。また、エラルドに居た時には幾つか恋をしたり、駆け引きを楽しんだのかも知れません。今回も、美熟女フンフトの魅力に惹かれる「ふりをして」自分がこの会談をリードしようとしていたのではと考えます。無論、詩女やラーンを尊重しつつでしょうけれども。しかし、フンフトのオファーは彼の想定外だったのでしょう。そして、このオファーの出所がどこか、ダイ・グは直ぐに思いついたのでは? それゆえ表情を硬くしたのだろうと感じました。
 11月号で慧茄がニコニコと機嫌がよかったのは、この後詩女がオファーするであろう事、つまりアドー王の企みを知っていて、けれどそれがそう簡単に片付きはしないと判断している為か、それとも、自分の孫である皇帝がどこまでこの無理難題に立ち向かえるか楽しみなのか…… 
 元フィルモア皇妃であり、剣聖でもあった慧茄は、フィルモア皇室の「魑魅魍魎」について把握していると思います。搦め手に搦め手を使うのも悪くないですが、あえてトライトン王子や自らの教え子のニオを側近にしたり(個人的予想)、クリスを助けたのは、若い人材の勢いに期待を掛けたのでしょう。そして「うちの坊ちゃまを甘く見ないで頂戴ね」と思っているのではと自分は考えています。
 元老議会の一幕を挟んだ後、フンフトは「別に何もなくとも、私を見ての通り、詩女は(フィルモア)皇帝陛下に永遠の恋をしておりますのに」とひと言。男のツボを突く言葉を紡ぐのが上手な方ですねえ。しかしそこでちょっと方向性を変えてブーレイの話をさらりと持ち出します。さすがにここに来てダイ・グは、自分がリードできる相手ではなかったと悟ったように感じました。
 さてさて、そんな訳で自分の将来にも関わる企みが分かったダイ・グがどうするか。それが今後楽しみですね。慧茄様と一緒にのんびり見守りましょうか。
  ◆頭では分かっていても
 ダイ・グに迫るフンフト、そしてまんざらでも無いダイ・グの姿に「そんなのいや……」と涙ぐむクリス。
 12巻の終わりに「たとえ花壇に花は咲かずとも、私はもう一生にたる恋をした」と身を引き締めた彼女ですが、やはり現在進行形の乙女です。頭では分かっていても目の前でこういう展開になったら、ハイランダーではなく、一人の乙女であるクリスに戻ってしまうのは仕方ありません。
 それにしても、フンフトのちょっとした言葉に敏感に反応してしまう「乙女のクリス」をフンフトとダイ・グの遣り取りの間に挟むのは、やはりセンセがクリスを大事に思っている証だなと思います。それと、フンフトの「あら……ご立派ね」というひと言に「カッチーン!」ときた姿は、ユーゾッタととっくみあいをしたときの事を思い出します。クリスは決してキツイ性格の娘ではないと思うのですが「ここだけは許せない」というのがあるのでしょう。そんなときにピーッってヤカンが沸騰しちゃうのかなーって思います。自分がそうなので…… 
 でもね、クリス、胸の事は心配いらないと思うよー! 映画GTMのラストに登場した彼女は素敵な女性に成長していますもんね。
 気になるのは、楊貴がクリスにその姿を見せた事。連載表紙の中で、アトロポスがすえを連れて町を歩いている姿がありますし、単行本9巻ロッテがあの当時のすえぞうを見て「なんてきれいな動物」と言っていますから、幼生の間は人の間に出ても「ちょっと変わったイキモノ」的な扱いで済むのでしょうか。そんな訳で、多分、涙ぐんでいるクリスに「どうして泣いているの?」と慰めに来たのかなと思いますが。でも、何か他に意図があるとしたら……あるのかな? うーん。今までは炎の女皇帝プラス楊貴でしたけど、今回は楊貴だけなので。もしかすると炎は姿を見せていないだけで「これが今のハイランダーという奴か」と腕を組んでジロジロ見ているのかも知れませんけれど。
 ◆一つ解決して、一つまた謎を残す
 2ch本スレで指摘していた方がいらっしゃいましたが、2連載分で一区切りになっていて、1つ目で出た謎が次回で分かるという展開になっているというのはナルホドと思いました。今回はジークママンの謎が解けたわけですが……それについては後日。
 ただいま「艦これ」のイベント中だったり、用事で出かけるところがあったりして疲れ切ってたりしてもー大変なんですっ……

世事多事:場をわきまえるという事を知らない人&反原発論者の「口だけ」には飽きた。

 朝から具合が悪かったので、艦これの演習だけ回して寝ていた間にこんな事があったんですか。「山本太郎議員が天皇陛下に手紙手渡す…園遊会 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)」
 また山本太郎議員? これで問題何回目? なんだかなぁ…… というより、この議員を園遊会に呼んだの誰? 自分は、園遊会というのは両陛下からお言葉を頂く有り難い場であって、直訴の場ではないと思うのですが。両陛下に拝謁することが出来るだけで名誉なのに。事前に宮内庁関係者から「してはならない事」の説明とかなかったのでしょうか。直訴のような事をしでかす者が居るとは思わなかったのでしょうか。今回の事もさることながら、今後の対応について宮内庁も頭が痛い事でしょう。特に山本議員を名簿に入れた人にはキツイお灸を据えて欲しい所。
 戦前ならその場で大騒ぎになったと思いますが、戦後でよかったと思いますよ。つくづく。また、「内容は不明で、山本議員の事務所は「個人的な思いを書いたものを渡すと聞いていた。中身は言えない」としている。」と記事中にあったんですが事務所の人間が何故止めないんだ! と思いましたね。宮中儀礼について関心の無い人ばかりなんでしょうか。
 まあ、官房長官が不快感を示したコメントを出していますし、参院議院運営委員会が11月1日に協議するとのことなので、それなりの叱責や処分があると思いますが。
 明治34年に議員を辞職した後に田中正造氏が「足尾銅山鉱毒問題」について明治天皇陛下に直訴をしていますが、「途中で警備の警官に取り押さえられて直訴そのものには失敗」(ウィキペディア)しています。詳細については、ウィキペディア田中正造氏の記事を読んで頂ければ。ですが、田中正造氏は直訴をするにあたって常ならぬ覚悟をしています。だけれど、山本議員はどうだったのでしょうね。
 現代の日本国にとって陛下がどのようなポジションにあられるか山本議員は分かってないと自分は思います。福島で避難生活を送られてる方の元を訪れるご公務や、不安に思っている国民へのご発言が「戦後の天皇皇后」としての限界なのです。戦前であっても勅を出す事は非常に難しかったと自分は思います。
 福島の具体的な処理問題は政治経済のレベルででなんとかしなければならない問題。陛下に直訴するのはお門違いも甚だしい。
 山本議員は問題を色々と起こしていますね。公人となったら、自分だけではなくスタッフにも「発言について慎重にすべし」という考えが徹底していない。チャラい議員としか言いようがないですね。まあ、贈収賄やったり不倫したりその他トラブル起こしたりする議員は今までも沢山居ましたしこれからも出てくるでしょうけれど、そういう「バッジだけ光ってる議員」がまた増えたナァって感じです。
 あと、山本議員で思い出したので。前々から書いてますけれど、原発廃止論者の人は、廃炉にするための費用、人材、廃炉後に出る様々な物質をどこで処分するかというのをきちんと確保できてから言って欲しい。嫌だ嫌だというのは子供にだって言える。政治や経済のレベルで物事を動かしたいなら具体的なロードマップと金と人を用意して欲しい。特に最終処分場これが非常に問題。地球の外にでも捨てる気ですか? 地球の外だってどうなっていくか分からない。カーゴに詰め込んで宇宙に打ち上げグルグル軌道周回させるつもりですか。宇宙だってデブリで問題になってるのにね。

世事多事:現実は厳しい

 「為末大「努力すれば成功する、は間違っている」 「正論」なのに「炎上」してしまうのはなぜ : J-CASTニュース」という記事を読んで、こういう事をハッキリ言う事は重要じゃないかなと思うんですよね。
 スポーツをやっている人にも色々なレベルがあると思うんです。趣味の域、もう少し鍛えて地域の大会に出るレベル、全国大会に出るレベル……最終的に至る所がオリンピックだと思うんです。ピラミッドの頂点だと思いますよ。甲子園だって、大会当日ベンチに入れない部員の方が多い学校だってありますよね。プロ野球選手の人生模様とかも色々で。
 スポーツをする本人が最終目標をどこに置くかで変わってくるでしょう。草野球、休日のフットサルで、大会に出るとか全然考えてないという方もいるでしょう。それならば為末氏がお書きになった「できる体に生まれる事が大前提」とまでいかなくても良いと思います。指導者の方も「無理をさせない指導」になるのではと想像します(自分は運動はまるきしダメなので良く分からないのです)。ですが、全国大会やその上を目指すとなれば、ある意味「職業:アスリート」になる訳で。それは自らの心身全て、生きる日々、時間全てを競技での成功の為に捧げる事に他ならないと思います。努力は必要でしょう。そのエネルギーとして「メダルを掴む瞬間」を思うことも大事でしょう。けれど、アスリートの資本は心身だと思います。肉と骨と心が「求められる水準」に達していないのに「努力すれば超えられる」というのはどうかな、と。
 「指導者の立場として『努力は報われる』と励ますべきだろ!」という声があがったと記事にありますが、じゃあ無理をさせて選手の心身を壊してしまったらそれこそ大変なことに……最悪、障害が残ったりする可能性だってあるのではと思います。むしろ冷静に「君の心身は残念ながら水準に達していない」と告げるのは指導者として大事な仕事だと思うのですが。もう一つ大事なのがその後のケアでしょうね。それまで、アスリートで一本立ちする為に生きてきた訳ですから、この先どうすれば良いか分からない方だっていると思います。その宣告をした後で「今の君ならこういう道に進むのがいいのでは」というアドバイスが出来るか、選手に納得させる事ができるかがポイントではないかと自分は思います。
 あと2割とか伸びしろがあるのに出し切れてない、出したら上のステージに上がる事ができるというのなら「努力しよう、頑張ろう」と指導するのはアリだと思いますけれど、10割出し切っても壁を超えられない人がいる。トップアスリートの世界とはそういうシビアな世界なのだろうと自分は想像するのです。
 別にこれはアスリートの世界だけじゃなくて、リアルのあらゆることでも言える事ではないでしょうか。自分は病気を抱えて生きてます。社会人として生きる事は出来ません。普段は静かに生きていますが、たまにトラブルがあったり、自分で解決しなければならない事は起きます。健常な方ならサッサと片付けてしまう事だと思いますが、自分は頓服を飲んだり頭をかきむしって苦しみつつやっと糸口がみつかるかも……というレベルです。
 「生まれ持った器」を超える事は出来ないと思っています。それを超えて何かしようとした時、失敗したり周囲の方に迷惑を掛けたりするのではと自分の経験から感じます。急いでその「器」を探さなくてはとは言いませんけれども、社会人になってある程度経ったら考えるべきことかもねとも思います。

ファイブスター物語/FSS/F.S.S.:生き抜く。生き続ける。

 ◆花の道
 映画GTMを見た人達にとっては、11月号の見開きは本当に嬉しいものだったと想像します。自分も2ch本スレバレで知った時「おおぅ……」と思いました。実際NT11月号を手にして見開きを見たとき美しい! と思い、本スレのレスにあった「風を感じる」という書き込みに同意すると共に、ちょっとせつなさも感じました。
 12巻の終わりでクリスは「一人の女性としての花壇」に封をしてしまってますね。初陣でパニックになるも慧茄の導きで再び立ち上がり、ダイ・グの示す道を切り開く騎士として本格的に歩き始めた道……それの第一歩が、この、花一面の道というのは。そう考えるとちょっと、ね。
 クリスは騎士。戦いの中でいつ死ぬか分からない。彼女が今ラーンに向かって歩いている花の道は美しい。でも、その先の道は血と油と残骸と死体だけかもしれない。その中で生き残り生き続けることが、歩み続けることができるかが肝心。
 初陣の前にして震えるクリスにダイ・グは言います「死なば笑われるだけじゃ…… 屍につば吐く輩に良いように言われ陵辱されようぞ!! どんなぶざまな姿であろうと どんなみっともない戦いをしようとかまわぬ!! 敵を倒し! 生きてフィルモアに帰るのだ!! そなたの業を薄めるのは生還しさらに帝国に尽くすこと! それすなわち余の誇りなり!!」
 映画GTMのあのシーンが何年の頃なのかは分かりませんが、映画GTMのあのシーン。もう一度、ダイ・グとは違う皇帝とこの道を花の種を持って歩くクリスの胸中は…… 
 ◆セブンシーズ
 NT10月号のジーク母上のカテイガホーにあった雑誌の名前ですが、この雑誌はほぼ書店販売されてない、基本定期購読の雑誌でした。2009年に休刊になっています。中京地区に住んでいたときにお世話になっていた調剤薬局にこれが置いてあって、待っている間がっつり読むのが楽しみでした。「もうねー、この雑誌お気に入りで」と話したら、ご厚意でバックナンバーを何冊か分けて頂きました。すっごくうれしかったですね。雑誌の中身は、果てしなくラグジュアリー。数千万円のジュエリーや時計の写真が1〜2アイテムを1P丸ごと使って掲載されてたりします。だから細かい所までじっくり見ることが出来ます。それ以外にも様々なブランドのアイテムを身につけたモデルさんの写真、ゴージャスなリゾート地のステイ先の美しい写真がてんこ盛り。1Pや見開きで一つのシーンという感じでページの使い方が贅沢。兎に角、美しくゴージャスでいやらしくない、日常と離れた別世界を覗かせてくれる雑誌です。
 バックナンバーの幾つかは入手可能です。「SEVEN SEAS(セブンシーズ)  バックナンバー一覧 |【Fujisan.co.jp】の雑誌・定期購読」また、Amazon等でも中古本が入手できます。図書館には多分置いてないかも……分かりませんが。ちなみに敬愛する開高先生がこの雑誌創刊に携わっていました。そういう意味でも自分にとってお気に入りの雑誌です。今回、この雑誌についてヒトコト書こうとググって、2009年に休刊していたというのを知り残念に思っています。
 ◆男は度胸、女は愛嬌
 これも10月号の話ですが。クラーケンベールの豪快さというか、「ああ、こーゆー人柄だから支持されるのね」というのが分かるエピソードでしたね。ホウライの売り込みに来た幼いタイトネイブと「勝負で決めようか」と決めたりとかも。豪放磊落とは彼のような人物を指すのでしょうか。
 その一方、「ジョーカー世界の政治経済より、明日の天気予報が気になる」というような、ちゃあ。「う〜がるるるる〜」のコマ、めっちゃかわいいです。表情いいですねえ。天照帝やアイシャは、こういう風に笑ったり怒ったり、びっくりしたり、どぎまぎしたりするちゃあを大事に思っていて、そのままでいてね、政治や権力闘争とかごちゃぐちゃな世界とは無縁のまま、ナチュラルにのびのびと生きて欲しいと願っているのでしょう。そして、そういうのびのびとした快活な部分、それがクラーケンベールには心地よく感じ、彼らしく「おい、嫁に来んか?」とぶっちゃけた訳でしょうね。ところが思わず「何? なら処女か?」という超NGワードを発してしまったために、ちゃあ激おこ! 頭のプンプンッっていうがこれまたかわいい。
 多分、本来ならクラーケンベールは二人の素性に思い当たる節があったとしても「別に誰とて構わぬ」として、お手洗いから戻ってきたちゃあに「さっきは失礼。それでは達者でな」という展開になったと個人的に思います。しかし物語の進行上、ジークの事について代弁させるために10月号66〜67pの話があったと推察します。そ・し・て、ちゃあの「仕返し」によって明かされた驚きの事実。自分もびっくりでした。でも、無い方がいいというのは同意ですね。そして、ちっちゃなストラップを「記念に」と。
 「売られなくてもケンカしに行く」と言われるほどのメヨーヨ。搦め手で来るならクラーケンベールはそれなりの構えをするでしょうが、ちゃあのような無邪気な、春の風のような手法には肩をすくめ、あっぱれだと快活に笑う他ないさと。それがクラーケンベールの魅力なのでしょうね。今回の事で彼のファンは増えたのではと思います。度胸のクラーケンベールに愛嬌のちゃあ。良い勝負でしたし、二人とも良い表情でした。
 プロムナード系の物語が今後もあるのか分かりませんけれども…… いつか、魔導大戦が終わった後にでも、クラーケンベールとちゃあがちょっとだけでも再会して「「あのときのストラップ!」」って見せ合いっこして欲しいなって思います。
 今回はこれにて。