小料理屋さつき

かつて「はてなダイアリー」にあった「小料理屋さつき」をインポートしたもの+細々と。

世事多事:カメラ・ハイ、みたいなこと

 私は、天災や火事等に見舞われたことがないので、それらの為に「何も出来なくなってしまう」という体験をしたことがありません。また、家族や親族がそれらにまきこまれ、無事でいるかどうか、やきもきしながら電話を幾度もかけたり、ニュースを付けっぱなしにしたこともありません。
 現在だと、携帯電話のサービスで「災害用伝言板」等のサービスがありますから、そういうものを活用することで無事確認は比較的やりやすくなったと思います。が、逆に、それらのサービスを知らない、加入してない人にとっては旧来の方法でしか無事を確認することができないということですよね。インターネットで色々な交流ができるようになったけれども、ネットに繋がっている人と、繋がっていない人との格差が問題になってきているのと同じように。
 そうなると、現地の情報をマスコミに伝えてもらうということを求めている人はいるわけで。とはいえ、災害救助の邪魔にならない程度にというのが難しいところ。カメラ・ハイ、ともいうべきなのでしょうか。より「グッ」と来る画像を撮りたいが為に周囲が見えなくなってしまうという事があるのかなと思いますが、それとの板挟みはあるのかなとか思ったりします。
 カメラ・ハイ・・・まあ、これはマスコミだけじゃないと思うんですよね。携帯にカメラがついて、「何か」が身近で起こった時、だれでも直ぐに報道カメラマンになることが出来てしまう可能性が爆発的に増えました。そのことにより、誰もがカメラ・ハイに陥る可能性も増えたのではと。
 先日、秋葉原で起きた事件で、生々しい現場を撮影している人たちがいたようで、そういう状況もまた異様ではないか、という話を目にしました。犯人の異常性は言わずもがなですが、カメラ・ハイに陥って血まみれの現場や被害者、加害者を撮影しまくっていたこともある意味異常と言えないだろうかと思うのです。野次馬根性、という単語で言い尽くせない何かがあるのでは、と。
 カメラって、持つ人にそういう不思議な感覚を出させる何かを持っているのでしょうか。無論、私のようにただ、ぼーっと散歩先の風景を撮ったりするだけという人間もいると思いますけれども。

 話が少しそれますが、「乗り鉄」な私には「撮り鉄」さんのあの情熱というか、ハイな部分っていうのがどうにも。一度、ビデオ撮影していた方がめっちゃくちゃトゲトゲしかったことがあって、びびっちゃいましたしね。また、廃止間際の路線に乗った時、すっごくギュー詰め状態だったのですが、リュックにくくった三脚に子供さんの頭があたりそうになったりとかありました。廃止間近でも、路線に普段乗ってらっしゃる方だって利用しますし、気をつけて欲しいなぁと感じましたね。
 まあ、イベントと呼ばれる時だと、どうしてもハイになっちゃいますし、そうなると周囲が見えづらくなってしまうのは自分自身経験しています。後で思い出して冷や汗、とかね。
 私が航空祭に行かないのは、ひとえにあの戦々恐々とした雰囲気が耐えられないこと。そりゃ、戦闘機の綺麗な姿を見たいというのはありますが、旦那と一緒だととんでもない状況下に自分の身を置くことになりますし。そーゆー状況によく耐えることができるなぁと逆に疑問に思っちゃう位で。まあ、アドレナリンみたいなのがドバードバーとでちゃうのかな。

 私も、もしかするとどこかでそういう「ナントカ・ハイ」に陥って、ヴァーティーゴ状態になってしまい、周囲のみなさんにご迷惑を掛けてしまったことがあるはずだと思うのです。視界がすごく狭くなって、それだけはくっきりと見え、でもそれ以外が見えない状態。ある意味それはとても危険なことなんじゃないかなと。プロだとか素人だとか、男だとか女だとか、何らかのカテゴライズに入ってるからどうだとかでなく、きっと誰しもそういう状態に陥る可能性は常にあるのではと思うのです。もっと気をつけて行動しないとね、と。まあ、石橋を叩いて叩いて匍匐前進っていうのもなんだかなというのはありますが。
 何事もほどほどに、と。