小料理屋さつき

かつて「はてなダイアリー」にあった「小料理屋さつき」をインポートしたもの+細々と。

世事多事

 山の遭難事故の話が以前よりも多くなってきたような気がします。私は子供の頃ちょっとした体験をして、安易に山を信じてはいけないと深く思っているのでちょっと辛いです。
 私がいた小学校は何故か登山に熱心で、遠足は低学年から町の近郊にある山を次々と学年が高くなるにつれレベルを高くして登ったりしてました。6年の時の林間学校で比較的高い山にチャレンジするための下準備ってやつでしょうね。そして訪れた6年生の夏。林間学校の日。麓も、麓から見える山頂も煙がかかってヤバそう。でもまぁ途中までなんとかいけないこともないだろうということで皆でチャレンジ。しかーし。現在整備されているらしいという登山道はその当時結構荒れ荒れっていうか、道じゃないヨこれっ! てな具合。というか、道がぬかるんでいるというより、道に水がしょぼしょぼと流れていたり、少し登らねばならない場所など、足場になりそうな岩が緩みがちだったりして「おわっ!」てな具合でしたし。結局8割ぐらい進んだところの広場のようなところで一旦休息して下山したのですが。経験のある先生が何人もサポートしてくださったにもかかわらず、沢をまたぐ一本橋・・・・そう、丸太の一本橋で落下&ずぶぬれ1名、泥と水と汗にまみれた者数知れず。そして私の番。麓までそれほど遠くないなぁというところまできて、気持ちがゆるんだのでしょう。ふっ、と気がつくと目の前に歩いていた同級生がいなくなり、視界一杯に遠ざかる熊笹。っつーか、私落ちてってるじゃん〜〜〜〜みたいな。まあ、熊笹があったせいでしがみつくことができましたから、それほど落っこちずに這い登ってきましたけどね。「いやぁ、急に目の前からあんたが居なくなってびっくりしたぁ!」と私の後ろを歩いていた同級生の弁。そりゃ私もビックリですよ。とはいえもう、かれこれ25年以上昔の話ですから、その時のびっくり感もかなり薄れてはいますが、それでもやはり「山はナメちゃだめだな」というのは肌身に感じます。何度も登っている先生がいらしたからこそ、そして、基本に忠実に、班ごとに連帯感をもって行動したからこそ、なんとかずぶぬれや切り傷、擦り傷なんかをちょろっとこしらえた程度で全員下山できたのですから。
 麓の登山会や警察などに登山計画についてルートを書いて提出したり、麓に待機組を残して無線などで連絡を取り合いながら登ったりという行為をしても、やはり山の急な天候の変化やそれ以外のアクシデントにぶつかることが多いと思います。まして今は中高年の方の間で登山ブームだとかで、結構オキラクな荷物だけでかなりレベルの高いところまで行こうなんていう話になったりするとか。また、昔取った杵柄、ならぬピッケル、なのでしょうか。体力の衰えなどを吟味しないで無理をして若い頃と同じルートをという方もいらっしゃるとか聞きます。NHKの教育テレビで、中高年向けの登山教室を放送したり、本屋さんで注意をうながしつつ中高年向けのコースを紹介したガイド本などがあるようですが、やはり日ごろよくお散歩してスタミナなどをある程度つけたり、万が一のことを考えた十分な装備を整えたり、基本を忘れず、山の美しさを愛でても、山を信じないこころというのを持って欲しいと思いますね。
 他のレジャーでもそうですけれど、「せっかく休みを取ったし・・・無理してでも行きたいナァ」ということでアクシデントに巻き込まれるケースが多いです。自然は偉大というか、美しい一方、本当にいともたやすく人の命を奪います。また、前日までバリバリ働いて、次の日遠くまで運転して、さらに体力を必要とするレジャーをする・・・よほど、日頃から精神力と体力をきちんと鍛えている人じゃないと無理なんじゃ? なんて、弱っちぃ私は思ったりしますね。
 まずは気象予報図をきちんと確認したり、現地の宿や登山会、観光組合などに天候について電話で相談したりすることは勿論のこと、「無理をしない決断」という強いこころも大切にして欲しいですね。
 「蛮勇は之、愚なり」ではありませんが、無理をして悪天候の中で活動するよりも、家でごろりとしながらハウツー本などや、写真集などをみてあーだこーだと考えるのもまた楽しい休日だと思いますよ。ちょっと妙な見方からの話になるかもしれませんが、徒然草で私の好きな話のひとつ、「月・花をば、さのみ目にて見るものかは〜」の下り(一三七段)のように、直接そのものを楽しみに出かけるのも悪くは無いけれども、のんびりとそれらについて思いをめぐらせるというゆったりとした時間も大切なのではと思います。