小料理屋さつき

かつて「はてなダイアリー」にあった「小料理屋さつき」をインポートしたもの+細々と。

滄桑之変:医師と教師はなっちゃだめ、という世情に?

 私の亡くなった親父は外科医だったんで、どんだけ医者が大変かっていうのは、家族の視点から薄々感じていたんですよね。親父は仕事の話を一切家でしませんでしたが。何しろ命に関わる仕事だし、どう手を尽くしても、助けてあげられない時もあるでしょう。両親が病室で亡くなったのを見ている自分としては、そういうことが日常である医療関係者に頭の下がる思いです。
 もうひとつ。学校の先生。親が、自分の子供数人の面倒を見るのさえ大変なのに、ひとクラス40人位の生徒に気を配らなければならない先生のご苦労もまたかなりのものでしょう。最近はサポート先生制度というのでしょうか、授業中、メインの先生が授業を進め、サポート先生が生徒の間を回って生徒の様子をみつつ、アドバイスをしたりするという学校もあるとか聞きますけれども。
 それにしても、最近はちょっとしたことでモンペ=モンスターペアレントが暴れますからね。私が子供の時には先生にしこたま怒られたことでさえも、今は先生を含め学校側が我慢しなきゃならない時がありますよね。たまんない。
 私が先生の教科準備室の清掃担当だった時、先生と雑談しつつ、ぞうきんでさっさか掃除してたりっていう感じだったんですけれど、そういう雑談の折に、先生の「人間」の部分がポロっと出るときがあるんですよね。小学生の時はわかりませんが、中高生位になると、なんとなくそう言う部分が分かってしまって。先生って大変だよなぁと。また、親父の死後、登校拒否になった時に手ひどい仕打ちをうけて(その先生はきっとその当時の行為を酷いこととは感じていなかったと思うのですが)、なんで先生ってこんなんかな、と思ったりもしました。
 そう言うことがあって、20過ぎてからでしょうか、いろんな人とぽつぽつ話す折に「医者と学校の先生だけは、幾ら金積まれてもなりたいとは思わないね」と言っていました。

 その後、医療と学校に関するトラブルが多くなり、メディアがそれについて大騒ぎするようになってきて、「ああ、あのときそんなに強い気持でああいう風に言ったわけじゃないけれど、今ではマジで一歩間違えたらえらいこっちゃな商売になったな」と、頬杖しながら思うのです。
 そりゃあ、辛い病気を抱える患者や家族にとっては目の前の医師にすがるほかなく、親だって目の前の教師に子供を託しているけれども、医師や教師からすれば、彼らは「すがり、託されている人たちの一人」でしかないということも、患者や親は心の隅に置いておくべきだと思うんですよね。無論、だからといってケアがおざなりになってもいいという訳ではないのですが。
 つまりは、過度の期待をしないことなんですよね。100%ってどんな事柄でも無理。絶対に無理。だから、患者なり、親なりでケア出来る部分は十分にしておくこと。緊急の場合でも、総て誰かに責任を100%取ってもらおうと考えないこと、それが大事だと思うんです。
 勿論、何か起きた場合の原因解明はしっかり行うべきだけれど。ただ、モンスター化するのは絶対にやめてほしい。無理を言い、叫び、マスコミを巻き込めば何とかなるとか、そういう甘っちょろい考えは捨てて欲しい。
 幼い子が泣き叫んでねだるような真似を、なりふり構わずやる一部の大人たちは、一体どういう教育や環境の下で大きくなったんだろうねと疑問に思って仕方ありません。
 全く、情けないったらありゃしない。見苦しいだけですね。