小料理屋さつき

かつて「はてなダイアリー」にあった「小料理屋さつき」をインポートしたもの+細々と。

医師もまた、一人の人間

 「顔の形成について- 人力検索はてな」このように、切実な願いが込められた質問を見ると胸が痛い。確かに、「形成外科 顔面」でgoogle検索すれば東京にある大きな病院などがヒットする。しかし、顔面という、人にとってとてもデリケートな問題でもあり、東京のその病院で出会った医師の対応に質問者が納得するかどうか…… 高い旅費と初診料を含めた診察代に見合った結果が出れば良いが、そうじゃなかった場合悲しいと思い、まずは居所の県立病院や大学病院等、通える範囲の病院の形成外科での相談を勧めた。
 母がC型肝炎の治療をしていた時、郷里で「内科でも特に肝臓に詳しい」と言われた医師を紹介され、そちらにお世話になったことがあった。しかし、母の質問に答えてくれないどこか「○○さんは質問ばかりで!」と怒ってしまったという。また、腹水も増え、母自ら転院を決め、結局は別の開業医へ、癌ステージになるまでお世話になった。癌ステージ後は亡くなるまで総合病院になったけれども。
 それとは別に、自分の回答のコメント欄にも書いたが、外科医の親父は膵臓癌で1年もたたずに去ってしまった。もしかしたら、検査入院をすると家族に告げるずっと前から自分の身体の異常に何となく気付いていたかも知れない。具合が悪くなる前から家のトイレに尿検査用の試験紙の瓶が置いてあったからだ。だが、私たち家族にとって父は絶対的存在だった。父が「十二指腸潰瘍の手術になったから」と言ったので信じた。でもそれは嘘であり、本当は膵臓癌からあちこちに転移しており、執刀した医師は「本来なら摘出もせずそのまま閉じる程の」状況だったらいしと後々聞いた。一度退院した父は、小柄になってしまったかのように痩せ、弱く見えた。それがとてもとてもショックだった。今でも思い出せる。お気に入りのジャケットを着て玄関に立った父の姿を。
 その後自宅療養をし、そして病院へと「通勤」をしたものの、最終的には倒れ、不審に思った母が担当医に詰め寄ってやっと真実が分かった時は、父が亡くなる数ヶ月前だった。
 医師である父も一人の人間であり、家族に自分の病気の事で悩ませたくなかったのだろうか、とか、最後まで自分らしく、趣味人で粋がり、弱音を吐く姿を見せたくない人だったのだろうかと思う。まあ、父の気持ちは父の胸の中であり、自分が死んで父と再び話が出来るまで……出来れば、の話だが……わからない。でもあの父のことだから、テキトーにごまかされるし、それより天国版iPhoneをみせびらかされたり、デジカメはどうなってるかとか色々聞かれてこっちが困りそうだ。ああぁ……両親の思い出話をするとついつい長くなる…… 
 さておき、法律や教育、医療については専門家の意見をまず聞くことを念頭に置いて欲しいと思う。そういう問題はデリケートであり、ネットのように後々まで情報が残る場所に個人情報を書くことは危険なのだ。だが、専門家はそういう細かい情報を聞いたり見せてもらわないと答えることが難しい。それゆえ、直接、Face to Face、直に会って話すべきだし、その場はプライバシーが守られる場であるべきだと考える。
 また、このご質問は太田哲也選手が書かれた「Amazon:クラッシュ―絶望を希望に変える瞬間 (幻冬舎文庫)」を思い出す。熱傷によって全身におそろしいケガを負ってしまった太田選手が入院してらした間の事を。雑誌Tipoのオーバーヒートミーツの第1回の折、自分は幸いにして、お話は出来なかったけれど太田選手の側まで近寄ることができた。サングラスをかけ、帽子を深く被ってらしたけれど、お顔に事故のかげりは残っていた。だけれど、太田選手のトークショーでの言葉やドライビングからサバイバーの強さ伝わってきた。そして太田選手は、「日本一のフェラーリ使い」と呼ばれていた頃よりも、ずっと精力的に、幅広いご活躍をされている。
 質問者さんも、いつか、現状から何らかの形でサバイブして欲しいと願っている。心の底から。だが、自分が大阪で今の通院先を見つけるまでのような辛い状況があるかもしれない。でも忘れないで欲しい。100%は難しいかも知れない、でも、今よりベターの状況に持って行ける可能性を人間は持っていると。それを意識し、信じて手近な所から行動して欲しいと。そして、その気持ちを支えてくれる有り難い方々はどこかに居るのだと。質問者さんがそういう気持ちを持ち、そして有り難い医療スタッフに出会えますようにと深く深く祈る。